少年はオルガンを弾いたのだろうか|みんなの旅話

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少年はオルガンを弾いたのだろうか

北の魔女

2022/07/13 投稿

 

長崎人のはしくれとして、一度は見ておきたくて2019年9月、
独りで3週間ほどポルトガルに行った。
長崎は、16世紀にポルトガル人によって開かれた港だ。

長崎名物のカステラだってポルトガルから伝わった。
ポルトガルに足を向けて寝られない長崎人、
ならばいっそ、その足を運んでみようかと初ポ入りだ。  

行ってみるとポルトガルは思った以上に長崎と関係が深かった。
例えば、天正遣欧使節団、中世の長崎から旅立った4人の少年たち、
伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンは、
ポルトガル に上陸して、リスボンをはじめあちらこちらの街を
経由してスペインに入り、そしてローマにたどり着いている。  

ポルトガルは都市もさることながら、田舎に行くほど面白い。
ある日、たまたまバスターミナルに来た長距離バスに乗って
ポルトガルの古都「エヴォラ」を訪れる。

この街のランドマーク、エヴォラ大聖堂も、
天正遣欧使節の少年たちが滞在したとある。

日本の資料によれば、この聖堂で彼らのうちの一人が
パイプオルガンを弾いて集まった村の人々を驚かせた、らしい。

しかし実際に聖堂の内部に足を運んでみると
オルガンそばの解説プレートには、
日本からやってきた遣欧使節の少年たちもオルガンを
「聴いた」とあり、うーん、どっちなんだろう...と首をかしげた。  

まあいいや。  彼らがここに来たのは間違いはない。  
もやもやを振り払うように狭い階段をのぼりつめ、屋上に出る。

すると、じゃーん、まるでジブリアニメのような塔が、
こつぜんと建ち、遥かな草原を見渡しているではないか。
それはたぶん440年前とさほど変わらないはずの眺め。  

時をさかのぼりそこで1時間ほど過ごしながら、
440年前の少年たちに思いをはせる。
「いや、ほんとに僕は弾いたんだってば」という声が
聞こえたような、聞こえないような。  
それから、やおら石畳の路地に入って、
ローカルレストランで極上の緑のスープとパンをいただき、
エヴォラの街をあとにした。  

ポルトガルから帰って、今、私は奇しくもこの天正遣欧使節に
関連する書籍の発行に携わっている。

彼らの足跡をたどる地図を作り、その数奇な運命を文字にしている。
エヴォラで吸った空気と、パイプオルガンの堂々たる姿を思い出しながら。  

ところで、あまりにもポルトガルの食や人が良かったので、
翌年また旅を計画したのだけれど、
あえなくコロナで現地への飛行機さえ飛ぶことはなかった。  

かの地も、コロナでだいぶ痛めつけられたと聞く。
しかしそこは世界屈指の観光都市、
きっと早晩行けるようになるだろう。

その時を楽しみに、今は地味な仕事をコツコツとこなしている。

旅トクアドバイス

ポルトガルに行ったらヴィーニョヴェルデを飲みましょう。直訳・緑のワイン。微発泡の白ワインです。ポルトガルのワインというと甘いポートワインが有名ですが、食事に合う普通のワインもたくさんあります。