立場が逆転
potiku さん
2024/08/15 投稿
41年前に新婚旅行で中国の蘇州から杭州、上海を巡りました。
当時の中国は、皆人民服で、私たち旅行者は、
どこへ行ってもバスから降りると、
まるで映画スターのように人々に取り巻かれました。
私はストッキングを引っ張られました。
スカートをはいた女性がいなかったので、
ストッキングが珍しかったのでしょう。
「これは何?」というようなことを言われていました。
また、私たちはホテルではなく迎賓館に泊り、
室内は、黒檀の調度品が作りつけられていました。
当時の中国には泥棒がいないということで鍵はかける必要がありませんでした。
食事は、朝食から何皿も並べられ、昼食、もちろんディナーも大変に豪勢でした。
街に出かけると、レストランでは、
現地の人と旅行者とは入り口が違っていて、
席も分かれていて、値段も違っていたようです。
犬を全く見かけなかったので、通訳の人に何故かと尋ねると、
「猫はネズミを捕るから有用だけれど、泥棒のいない中国には、犬は不要だ。」
という返事でした。
道路は広く真っすぐな道が果てしなく続きます。
国がここを道路にするといえば、そこは道路になるのです。
そして果てしなく続く道路の両側には街路樹が果てしなく続きます。
人民が無償労働で植えたものだということです。
信号も少なかったので、観光バスは、
そういう道をかなりのスピードで走行していたように思います。
当時の中国の人々の移動手段は、主に自転車で、
すごい数の自転車の群れが行き来をしていました。
自家用車を見かけることは、非常に稀でほとんどありませんでした。
お土産物を買うための百貨店は、まるで国会議事堂のような立派な建物で、
「友諠商店」と呼ばれていて、
だだっ広いフロアーに品物が展覧会場の展示品のように並べられていました。
列車に乗ると、中国人が窓からポイポごみを捨てるのです。
なんとお行儀の悪いことだとツアーガイドに言うと、
「そうしなければ、線路沿いのごみを拾い歩く人々の仕事を奪うことになるから。」
ということでした。
この写真は、太湖でドラゴンを模した貸し切りの遊覧船で昼食をとっているところです。
この船の船長さんに、通訳を通して
「あなたは、このような贅沢な旅行ができますか?」と聞くと
「できません。」という答えでした。
今、日本で高級ホテルに泊り、
雪崩を打って日本中の各地の観光地を訪れ、
贅沢な食事をし爆買いをしているのは、中国人です。
私たちにはそんなことはできません。
これは言うまでもないことかもしれませんが、ホテルの部屋から出て観光に出かけるときは、部屋のキーだけでなく必ずスーツケースにも鍵をかけてください。私はそれをしなかったためにローマのホテルでパリで購入したお土産物を盗まれました。多分ベッドメイクをしている人が盗んだのだと思います。盗まれたことに気が説いたのは、自宅に帰ってからのことでした。間が抜けていますね。