中国走馬燈
NORIMASA ETOさん
2016/05/06 投稿
中国との出会いのきっかけは2010年3月。
京都散策中、偶然に台湾人留学生と知り合った。
私は「ニーハオ」「シェシェ」くらいしか知らず、
彼の片言の日本語や身振り手振りでコミュニケーションをとった。
「言葉が分かれば、もっとお互いが理解できるのに」と、中国語を独学で学び始めた。
7月には上海ツアーを単独で申込み、
新旧の景色が入り混じる上海を目の当たりにし、カルチャーショックを受けた。
以降6年の間に
北京・青島・成都・重慶・武漢・広州・深セン・西安・長春・沈陽・合肥・嘉峪関・蘭州・杭州・昆明
を旅してきたが、幾つかの都市で現地の友人ができた。
彼らは皆、バックパッカー的な旅をする私に、とても親切にしてくれた。
ガイドブックに載っていない隠れたスポットやB級グルメ巡り、
壮大なスケールの露天風呂、一緒に他都市に小旅行、バイクを2ケツしてのドライブ、
中国式カラオケボックスでゲームやカラオケしながら酒を酌み交わすなど、数々の思い出ができた。
また、私の誕生日に大きなケーキをわざわざ買ってきてパーティーを開いてくれたことも忘れ難い思い出だ。
2012年の尖閣諸島問題で、中国各地に反日デモが吹き荒れる9月にも私は上海に居た。
ホテルの前をデモ行進が通りすぎ、その日は怖くて外に出れないと思ったが、
各地の中国人の友人らから
「大丈夫ですか? 政治と個人的な事とは別です。中国を嫌いにならないでください」
との温かいメッセージが次々と届き涙が出るほど嬉しかった。
それ以降、私の中国旅行は観光を楽しむ以外に、中国の人たちに日本の良いところを、
私の家族や友人・同僚たちには中国の良いところを伝える旅へと変わっていった。
私の中国語はちっとも上達しないが、友人たちから
「次はいつ中国に来ますか? また一緒にご飯を食べたり、散策しましょうね」
とのメッセージが、途切れることなく届き、私を中国へといざなう。
毛沢東を配した中国元紙幣を眺めていると、
中国の友人たちの顔や旅の思い出が、私の頭の中を走馬灯のように駆け巡っていく。
機内食のプラフォークやプラナイフを、返却せず旅行目的地まで持って行くと、現地の果物を買った時に、とても便利と、初めてのフライト時に旅の達人に教わりました。マンゴーやドラゴンフルーツなどを買って食べる時にすごく役立ちました( ^ω^ )
●コメント
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【 みんなの旅応援団 さいとう さん】
とっても温かい思い出の数々すてきですね!
国同士のことも超えて、友情でつながっている姿、日本と世界の架け橋に見えました。
これからもずっとその関係が続き、もっとつながりが増えていきますように^^!