「やめないで良かった」-悲願の金メダル獲得とグラススキー普及への想い

新谷起世さま
有限会社ダイチ所属。幼少期からグラススキーを始め、2006年より海外遠征に挑戦。2009年にはワールドカップ総合2位を獲得し、2013年に日本開催のグラススキー世界選手権で悲願の金メダルを獲得。現在は有限会社ダイチに所属し、レッスン活動や指導者育成、国内外大会の運営を通じてグラススキーの普及と次世代育成に力を注いでいる。
遊びの延長で出会ったグラススキー
――まず現在の活動内容について教えてください。
新谷さま:現在は有限会社ダイチの社員として働いています。
夏はグラススキーの製造やレッスンを行い、一般社団法人全日本グラススキー連盟の専務理事も兼任していて、選手の遠征帯同なども担当しています。
冬はスキーコーチの仕事がメインになるので、12月から4月いっぱいまでは長野を拠点に活動中です。
最近は、グラススキー世界ジュニア選手権の準備にも携わっています。今年、日本で世界大会を開催することになりまして、私たちの連盟が中心となって運営しています。
――グラススキーはスノースキーのオフシーズントレーニングのイメージがあります。現在どのような位置づけのスポーツなのでしょうか?
新谷さま:私が子どもの頃は少し違いました。もともとはレジャーとしてのグラススキー場が全国にいくつかあったんです。
今でも香川県のさぬき空港公園などにはグラススキー場がありますが、当時は家族で遊びに来るようなレジャー施設として利用されていました。
ただ、近年はそういったレジャー施設が減ってしまい、現在は冬のスキー選手のトレーニングとして活用される割合の方が大きくなっています。
――もともとはレジャーとしてあったものが練習用に普及していったという流れでしょうか?
新谷さま:もともとは雪の降らない地域でも楽しめるレジャー施設として自治体が導入したことが始まりです。その流れで全国各地にグラススキー場が作られました。
なので最初はレジャーとして始まり、その後に競技スポーツとして発展していったという流れですね。
――新谷様ご自身はどのように始められたのでしょうか?
新谷さま:私も最初からレジャーとして始めました。
地元の近くにグラススキー場ができたのがきっかけで、家族で遊びに行くようになったんです。 今のように競技として取り組むイメージは全くなくて、本当に遊びの延長でした。
――グラススキーからスノースキーに行くタイミングはなかったのでしょうか?
新谷さま:ありました。グラススキーを続けているうちに少しずつ上達していって、大会があることを知ったんです。大会に出るようになると、競技として取り組んでいる方々と出会うようになったので、
「せっかくグラススキーをやっているなら、冬のアルペンスキーもやったらいいよ」
と勧められたんです。私は徳島出身なので、スキーはあまり身近なものではありませんでした。雪山までは車で2時間ほどかかりましたし、日常的に行ける環境ではなかったんです。
一方でグラススキー場は近くにありました。それでも中学生になった頃から家族でスキー場へ行くようになり、夏はグラススキー、冬はスキーという生活が始まりました。
――グラススキーならではの魅力はどこにありますか?
新谷さま:私は寒いのがあまり得意ではないのでまず寒くないことですね(笑)
それに、滑走した時の爽快感は本当に気持ちいいです。そして、自分が世界大会へ出るようになってから感じたことですが、海外に友人ができることも大きな魅力でした。
普通に生活しているだけでは、なかなか世界中に友人はできませんよね。でもグラススキーを通じてヨーロッパをはじめ様々な国に仲間ができました。
それは本当にやっていて良かったと思うことの一つです。
――スノースキーとは違う面白さはどこにありますか?
新谷さま:まずシーズンが長いことですね。春・夏・秋と長く楽しめますし、私の場合は大会へ出るようになってから毎年家族旅行も兼ねて各地の大会へ行っていました。
いろいろな場所へ行けることも楽しみの一つでした。競技だけでなく、その土地を知ったり、人と出会ったりする楽しさもありましたね。
銅メダル獲得をきっかけに世界を目指す

――競技人口や認知度について、現状はどのように感じていますか?
新谷さま:国内大会を開催した時に、参加者は多くても60人くらいですね。
愛好者全体でも、私たちが把握している範囲だと200人くらいだと思います。なので、やっぱりまだまだ知られていないスポーツだなと感じています。
知っていても、実際にできる場所が少ないので、なかなか馴染みにくいという部分もあります。冬のスキーに比べると、圧倒的に滑れる場所が少ないんです。
だから、知ってもらいにくいし、広がりにくいというところにも繋がっているのかなと思います。
――もっと多くの人に知ってもらうために必要なことは何だと思いますか?
新谷さま:今は雪が降りにくくなってきていますよね。だから、冬のスキー場で夏場はグラススキーができるというような場所が増えるといいなと思っています。
そういう中で、夏に何か活用できるものとしてグラススキーがもっと利用されるといいですよね。ブーツやストックなどはスキーとほとんど同じものが使えますし、スキー経験者なら入りやすいスポーツでもあります。
新しくグラススキー場を作るとなると大変ですが、今あるスキー場を活用するという方向なら可能性はあると思います。
――新谷様がグラススキーを始めたきっかけを教えてください。
新谷さま:近くにキャンプ場などがある複合施設としてグラススキー場ができたんです。週末にそこに遊びに行く感覚で始めたのがきっかけですね。
大会に出るようになってからは遊びが徐々に練習に切り替わっていったという感じです。
――小さい頃から競技志向だったのでしょうか?それとも純粋に楽しかったのでしょうか?
新谷さま:私の地元で大会が開催されたことがきっかけですね 。やっぱり地元で開催されるとなると出たいじゃないですか。それでどんどん大会に出場するようになりましたね。
――その頃には、世界大会を意識していたのでしょうか?
新谷さま:世界を意識し始めたのは、実は結構遅かったんです。
初めて「世界」を感じた出来事が2000年に地元にある木屋平の中尾山高原グラススキー場で行われた世界ジュニア選手権でした。
私はその時、中学3年生か高校1年生くらいだったと思うのですが、そのとき海外の選手を見たのも初めてでした。
ヨーロッパの選手たちが普通にゲレンデをビキニで歩いていたり、文化も雰囲気も全然違っていて、こんな世界があるのかと感じました。でも、すぐにそこを目指すという感じでもなくて。
――そこではまだ「憧れ」のような感覚だったのですね。
新谷さま:そうですね。そのあと、高校3年生の時に初めてFISグラススキーワールドカップの代表選手に選んでいただいて、イランへ行きました。
その後、冬のスキーがやりたかったので長野県の大学に進学したんです。それでもグラススキーも続けたかったので、山梨の練習場に行くようになりました。
この頃からレベルも上がってきて、大学3年生のときにチェコで行われたFISグラススキージュニア世界選手権に出場しました。
そこで私は銅メダルを2つ獲ったのですが、ここで銅メダルを獲ったから金メダルを獲りたいと思うようになったんです。
――このタイミングでようやく火がつくわけですね。
新谷さま:はい。そのあと、ここ有限会社ダイチで遠征活動の支援をしていただいて、大学4年生のときにシリーズ戦に出場しました。
ここから金メダルへの想いが強くなって、有限会社ダイチに就職し、社会人アスリートとしての道を進むことになりました。
チェコでの銅メダルが私が世界を目指すことになったきっかけですね。
世界への挑戦

――チェコの銅メダル、ここも言わば世界の場ではありますよね。このときはどういった心境で大会に入りましたか?
新谷さま:その時は練習環境も変わっていましたし、教わる人も変わっていました。国内大会にも継続して出場していて、自分自身の実力が上がっている感覚はありました。
ただ、正直に言うと、その銅メダルにはラッキーな部分もあったと思います。グラススキーもアルペンスキーと同じで、2本滑って合計タイムで順位が決まるんです。
私は1本目の時点では6位とか8位くらいで、メダル圏内ではなかったんですよ。
でも2本目で上位選手が転倒したりミスをしたりして順位が入れ替わった結果、私が表彰台に入れたんです。
だから本来の実力だけで言えば、当時はまだメダルを獲れるレベルではなかったと思います。
ただ、その結果が残ったことで、「もう少し頑張ったら本当に勝てるかもしれない」と思えました。
――ではメダルを獲りにいく!という感覚ではなかったのですね?
新谷さま:当時は本当に「ちゃんと滑れればOK」くらいの感覚でした。メダルなんてまだ自分には…という感覚でいたので。
ヨーロッパのコースはやっぱり日本と全然違うんです。日本で練習して行くと、「うわ、すごい急斜面だな」とか、「コースがすごく荒れているな」とか。
昔はまずスタートしてゴールできるだけでもすごい、という感覚がありました。だから当時は、全種目に出場して、しっかりゴールすることが目標でした。
振り返るとモチベーションとしては低かったかもしれませんが、その頃の実力としては、それが現実的な目標だったんです。
――そのスタンスが逆に力が抜けて良かった部分もありますか?
新谷さま:そうだと思います。変な力が入らなくてよかった面はありますね。ワールドカップと世界選手権を合わせると、6月後半からはほぼ毎週レースがあります。
世界のトップ選手たちはお互いの実力も分かっていますし、「この大会ならこの選手が強い」ということも把握しています。
そんな中で、銅メダルを獲ったことで、みんながちゃんと名前を覚えてくれるようになりました。それは嬉しかったですね。
――初めて海外へ行った時に感じた違いはありましたか?
新谷さま:もう全部が違いました。本当に全部です。当時は高校3年生でしたし、正直、戦える感じなんて全くありませんでした。
周りの選手たちは「よく来たね」と歓迎してくれるんですけど、同時に実力差を見せつけられるという空気も感じていました。少し距離感はありましたね。
――世界のトップ選手たちを見て、どんなことを感じましたか?
新谷さま:サイズの差に驚くばかりでした。
高校3年生の頃の私は、まだグラススキーを遊びの延長みたいな感覚でやっていましたし、本格的なトレーニングもそこまでしていなくて、体もまだ小さかったです。
でも海外の選手たちは男子も女子もとにかく大きい。体格もそうですし、持っている雰囲気や勢いも全然違いました。
世界ってこういう場所なんだな、というのを強く感じました。
――グラススキーは体格差も影響する競技なのでしょうか?
新谷さま:基本的には体重がある方が速いんです。ただ、コースによっても変わります。例えばすごく急な斜面だと、重い選手はスピードが出すぎてしまうこともあります。
痩せていても技術が高い選手はいますし、一概には言えないんですけど、当時は男子選手なら「100キロないと戦えない」と言われていました。
今は少し変わってきていますけど、20年くらい前はそういう時代でした。
悲願の世界一

――2009年にはワールドカップ総合2位という結果を残されています。当時はどのような生活を送っていましたか?
新谷さま:ここ(有限会社ダイチ)で仕事をしながら週末はほとんど練習でした。
月の半分くらいはレッスン活動をして、残りの週末は練習という生活です。さらに平日にも練習へ行っていました。
当時は長野県の斑尾高原スキー場に、とても良い急斜面があったので、そこへ通っていました。週末だけでなく平日にも長野へ行き、練習して帰ってきて仕事をするという生活でした。
帰ってきている時はジムにも通っていましたし、本当にグラススキーで金メダルを獲ることを中心に生活していました。
競技選手として、グラススキーで結果を出すことを目標にした生活を送っていましたね。
――競技を続ける中で、一番苦しかった時期はいつでしたか?
新谷さま:2009年から2013年までの4年間ですね。
私は2005年から世界選手権に出場していて、2007年の世界選手権で銀メダルを獲得したんです。
その時は若かったこともあって、「次の世界選手権では絶対に金メダルを獲れる」と思っていました。でも、2009年も銀メダル、2011年も銀メダル。
ここから2013年に金メダルを獲るまでの間は本当に苦しかったです。
――その苦しい時期を経て、2013年に日本開催の世界選手権で金メダルを獲得されました。その瞬間はどんな想いだったでしょうか?
新谷さま:その瞬間は本当に号泣しました。
2011年の世界選手権が終わった後は、もう燃え尽きたような状態になっていたので、「また届かなかった」「この先どうしよう」とそんなことばかり考えていました。
だからこそ、2013年に金メダルを獲得できた時は、「やめないで良かった」と心から思いました。
――長年目指してきた世界一だったと思いますが、ゴールした瞬間はどんな気持ちでしたか?
新谷さま:2013年に初めて金メダルを獲得したのは、スーパーコンビという種目でした。
1本目を終えた時点では私が2位で、2本目を滑り終えてゴールした後、トップだった選手が転倒したんです。だから私がゴールした瞬間には、まだ優勝は確定していませんでした。
もし自分が逆転して勝ったとか、最初からトップを守り切って優勝したとかであれば、もっと素直に喜べたと思います。
でも転倒した選手もずっと一緒に戦ってきた仲間なんです。グラススキーは本当に小さな世界なので、世界中の選手たちがみんな友達みたいな関係なんですよ。だから複雑な気持ちもありました。
それでも優勝が決まった瞬間は、本当にいろいろな感情が込み上げてきました。ゴール付近の観客席には両親も来てくれていたので、そのまま駆け寄りました。
あの瞬間は今でも忘れられませんね。
――世界一になったことで、ご自身の中で変わったことはありますか?
新谷さま:レッスンに来てくださる方や初めてお会いする方に対して、自信を持って「世界チャンピオン」と言えるようになりました。
また、2013年以降も競技を続ける中で、多くの方々に支えていただけるようになりました。
ファンクラブも作っていただいて、2015年、2017年、2019年、2023年の世界選手権へ挑戦する際には、その方々が動いてくださり、クラウドファンディングのような形で遠征費を支援していただけるようになったんです。
私の競技人生を支えてもらったので、本当に感謝の想いでいっぱいです。
――金メダルを獲ったあとも競技を続けられました。やはりもう一回、という想いがありましたか?
新谷さま:ありました。でも全然甘くなかったです。
2015年の世界選手権はイタリアで開催されたんですが、その大会では一つもメダルを獲れませんでした。6位までが入賞なんですけど、入賞すらできなかったんです。
世界チャンピオンとして紹介され、周りの選手たちもみんな私のことを知っていて、そのなかで結果が出ませんでした。
原因や課題は自分なりに分かっていたんですけど、それでも結果につながらない。「あんなに頑張ってやっと金メダルを獲ったのに、その先はもっと難しいんだな」と。
人生って厳しいなと思いましたね。
――そこからどうやって自分を奮い立たせることができましたか?
新谷さま:2015年の頃には、私より下の世代の選手たちが育ってきていたので、「若い選手には負けたくないな」という気持ちがありました。
もちろん世界で勝ちたいという気持ちは変わりませんでしたけど、それに加えて、次の世代との勝負という感覚も出てきました。
それが競技を続けるモチベーションになりましたね。
グラススキーの普及を目指して

――現在はレッスン活動が中心とのことですが、当時と比べて国内のグラススキーのレベルは上がっていますか?
新谷さま:上がっていると思います。特に冬のスキーでも活躍できる選手が増えました。
夏にグラススキーをやって、冬のアルペンスキーでも結果を残せる選手が出てきているので、それは本当に嬉しいですね。
もちろんグラススキーとアルペンスキーは全く同じではありません。
ただ、昔に比べるとかなり近い感覚で練習できるようになりましたし、転倒しにくくなったり、技術的な部分も進歩しています。用具の開発が進んだことも大きいですね。
――グラススキーは見た目も独特ですよね。
新谷さま:私たちは無限軌道構造と呼んでいて、普通のスキーとは見た目も全然違います。
最初はどうしても足を広げた状態になりやすいんですが、上達すると冬のスキーと同じように足を揃えて滑れるようになります。
体感のスピード感もかなりあって、感覚的には冬のスキー以上に速く感じることもありますね。
――最後になりますが、今後の目標や展望について教えてください。
新谷さま:まずは今取り組んでいる今年(2026年)のFISグラススキージュニア世界選手権日本開催を成功させることです。
2027年には日本でジュニア世界選手権と世界選手権の同時開催が予定されていて、その運営にも関わっています。まずはこの二つの大会をしっかり成功させたいですね。
その上で、国内選手の強化も続けていきたいと思っています。選手だけではなく、グラススキーを教えられる指導者の育成も大切だと考えています。
私たちだけでは競技を広げていけませんから、普及活動を担ってくれる人たちを育てていくことも重要です。
その土台として競技人口を増やしていかなければならないので、グラススキーを体験できる場所がもっと増えたらいいなと思っています。
――新谷さま、本日はありがとうございました。












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